人権エッセイ集

2015年度 あいどるとおく

3月号「かえられないもの」

「仕事の半分『AI代替可能』」という見出しの新聞記事がありました。記事には、「国内で働く人の約半数の仕事が、10~20年後に人口知能やロボットに置き換えられるとの推計」と記述されていました。そう言えば、40年程前に駅の自動改札が導入されて以降、駅員さんの姿が少なくなり、無人の駅が増えてきました。スーパーでは、レジ係さんの精算から、機械が読み取る精算が増えてきました。もう身の周りでは、新聞記事を裏付けるように、着実にそして加速的に社会が変化しています。
 

また、別の調査では、90年後には日本の人口が現在の半分を切るというデータもあります。こうして見ると、今の子どもたちが、社会に出る頃の日本社会はどのような状態になっているのでしょうか。総合学習などで、子どもたちが体験したり聞き取ったりする仕事の半分が無くなることや、人と人の関わりが一層希薄になるとすれば、今後どのような人権を基盤に据えた教育が求められるでしょうか。
 

人権教育は、「一人も独りにしない。一人も差別しない。一人も排除しない。」学校・園づくりをめざしています。ある研究大会の報告には、授業から逃避し、無気力な態度でいた生徒が、教師や周りの生徒の関わりの中で、学級に自分の居場所を見つけ、揺れながらも変わっていく報告がありました。またその学級には、様々な生活背景を持つ生徒がいます。授業で登場人物の思いを考える時、その生徒が自分の生活と重ねて発言します。学級は静まり返り、固唾を飲むかのように発言に聞き入っていたそうです。誰一人学びから遠ざかることはありませんでした。そこでは、「聴き合う学習」「学び合う学習」が行われています。
 

先に述べた社会の変化に対応すべく、「新しい時代を生きる上で必要な資質・能力の育成とそのための学びの質や深まり」が求められている今日、それを具体化する「アクティブラーニング」とは、「聴き合う」ことであり「学び合う」ことです。
 

どんな時代であろうとも、人と人とをつなぐ大切さは変わらないのではないでしょうか。

目次