人権エッセイ集

2004年度 アイドルトーク 02

3月号「守る」

大阪府寝屋川市の小学校で起きた教職員殺傷事件を受け、全国の学校等は安全対策の強化に向けて一斉に動き出しました。校門の施錠の徹底、監視カメラの増設、「さすまた」や催涙スプレーの常備などに加えて、警備員の配備を決めた自治体も出てきました。子どもたちを守るためにできる限りの措置がなされるべきだと思います。

ただ、こうした防犯設備などの増強が、かえって子どもたちに、社会や他人に対する不信感を持たせることになっていないかを考えることも必要です。家庭や学校、地域がいまこそ連携して、「周りのおとなたちは自分たちを見守ってくれている」、「大事に思ってくれている」という、あたたかさを伴った安心感を子どもたちに是非持たせたいものです。

一方、こうした事件のあとの反応が気にかかります。容疑者の少年に関して、一部報道では小学生のころからゲーム好きだったことを取り上げ、「ゲーム脳」という言葉が使われました。残酷なゲームに熱中するあまり、人を思いやる気持ちがなくなったり、現実と空想の区別がなくなったりするというのです。また、昨年奈良市で起きた女児誘拐殺人事件では、「性犯罪の前歴者の居住地を把握しておく必要がある」「容疑者のDNAを指紋のようにデータベース化していれば、もっと早く男を割り出すことができた」という意見が繰り返し取り上げられました。同じく、昨年6月に長崎県佐世保市で起きた小学6年生女児の事件の時には「なぜ友達を殺すなんて最低のことをやったのか。同じ6年生としてありえない」「口で解決すればいいのに、あなたは大変なことをしてしまいました」といった同年代の子どもたちの声も新聞に掲載されました。かけがえのない命を突然奪い、多くの人を悲しみと恐怖に陥れた犯罪行為を許すことはできません。しかし、こうした反応は、事件や容疑者を私たちからかけ離れたところ、もっといえば社会の外に置こうとしているように思えるのです。自分たちとは程遠い所で育った「特殊」で「異常」な人間が、私たちの世の中を脅かしているのだと…。そうした疎外しようとする意識が、また誰かを「特殊」で「異常」な行動に追い込むことになってはいないのか、と思うのは考えすぎでしょうか。事件は間違いなく、私たちの社会で起きているのです。

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