人権エッセイ集

2001年度 などちゃんのアイドルトーク 01

6月号「ふるさと」

五月は、21世紀の扉を開く歴史的な出来事が重なりました。

五十年間の歴史を刻んできた奈良県同和教育研究会が、これまでにない会則改正を行い、名称を「奈良県人権教育研究会」と改称しました。総会の様子については、一面で紹介されていますが、近年にない雰囲気と成果のあがった総会となりました。単に名称を変更しただけでなく、これまでの同和教育の歴史と理念を継承し、人権教育を構築する研究と実践を創造しなければなりません。

ところで、四月と五月に二つの裁判の判決がありました。四月は、大阪高裁が水俣関西訴訟において、国と熊本県の法的責任を認める判決を言い渡しました。そして、五月には、「ハンセン病患者の隔離は違憲」とする判決です。水俣病とハンセン病の患者や元患者は、差別と偏見によって、病で苦しむこと以上に苛酷な苦しみを味わってきました。こうしたことから、二つの判決は、当然の結果だと思います。

しかし、裁判所の判理念を継承し、人権教育を構築する研究と実践を創造しなければなりません。

ところで、四月と五月に二つの裁判の判決がありました。四月は、大阪高裁が水俣関西訴訟において、国と熊本県の法的責任を認める判決を言い渡しました。そして、五月には、「ハンセン病患者の隔離は違憲」とする判決です。水俣病とハンセン病の患者や元患者は、差別と偏見によって、病で苦しむこと以上に苛酷な苦しみを味わってきました。こうしたことから、二つの判決は、当然の結果だと思います。

しかし、裁判所の判決に、当事者が直接その苦しみを告白し、願いを訴えることの意義の深さを感じました。同和教育や部落解放運動もまた、部落出身者自身の立ち上がりによって、部落差別をなくそうとしてきたことと重なります。

五月二十五日に、人権擁護推進審議会が「人権救済制度の在り方について」を『答申』しました。人権の実現が、また一歩大きな一歩が進みました。しかし、どんなに素晴らしい救済制度であっても、当事者の訴えがなければ、効果はありません。そうした意味からも、ハンセン病患者や元患者の行動は、大変意義深いと思います。

部落出身者は、ふるさとをかくすことを、けもののようなするどさで覚えました。ハンセン病の患者や元患者は、ある日突然、ふるさとを奪われました。ふるさとに帰ることを許されませんでした。そして、本名も奪われてきました。水俣病は、患者はもとより市民も「水俣市出身」であることを隠さざるをえなかった歴史を持っています。

差別と偏見は、「ふるさと」を奪います。人権教育は、すべての人々が「これが私のふるさとです」と名のれる社会の実現をめざします。

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