人権エッセイ集

2012年度 あいどるとおく

10月号「空気さなぎ」

旅行が好きな私。
「いつかゆっくり海外を一人旅!」というわけで、その「いつか」に備えて英会話を身につけようと一念発起。
とは言え、「できるだけ楽して身につけたい」という生来の手抜き性が顔を出し、選んだのは「聞き流すだけ」が売り文句の英会話教材。
日常にありそうな場面が設定され、そこで交わされる会話が英語で流れた後、その日本語訳が流されます。

解説書には「5分でいいから毎日かかさず聞くように」と。
その通りしていると、数日後にはなんとなくストーリーを覚えてしまい、所々知っている単語が出てくると「ああ、これはこういう台詞だったな」と。
お調子者の私は、それだけで「英語がわかった!」という気分に・・・。

毎日同じものを見聞きしていると、なんとなく身につくものだということを実感しました。
でも、この「なんとなく」、時には曲くせ者ものです。

今、尖閣諸島を巡って、中国での反日行動の様子が盛んに報道されています。
そんな中、ある子がふとした会話の中で「私、中国ってあまり好きじゃない」と言う場面に出くわしました。
彼女は、特に中国人の知り合いがいるわけでもなく、また、中国に行ったこともありません。
毎日見聞きするテレビや新聞の報道で、なんとなく中国に対するイメージを確立してしまったようでした。

感覚や意識というものは急に変わるものでなく、日常的な空気の中でなんとなく身についていくものです。
どんな空気を吸い込むかが問われます。
とりわけ子どもたちには大人が勝手にゆがめた空気でなく、澄んだ空気を深く吸い込ませたいと思います。
私たち大人にはその空気を清浄化するという責任があります。

ところで、吸った空気は吐き出さねばなりません。
吸ってばかりでは・・・。

案の定、聞いてばかりいる私は未だ英語で話すことができません。
面が設定され、そこで交わされる会話が英語で流れた。

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