人権エッセイ集

2016年度 あいどるとおく

3月号「ポスト・トゥル-ス(脱・真実)」

セクシャルマイノリティーをテーマにした授業に出会いました。

「これまで、同性愛者の人と出会ったことありますか。」
「旅行に行った時、男の人と男の人が一緒にいて、愛し合っているような二人だった。初めて見て、不思議な感じがした。」
「今は、そういう風に幸せになるかたちがあるんやなと思う。」
「(同性愛は)個性やと思う。裏表なしの。」
「男らしさ、女らしさは必要と思うか。」
「僕、泣き虫で、お父さんから『男やったら泣くな』と言われる。」
「さっきの同性愛者の方で、『女らしく』していたけど、そんなに女らしさが必要かなと思う。」
「女の人になった男の人は、女の人は『こうや』と思っているのと違うかな。」
 

様々な考えを聴き合いながら、子どもたちの学びは深まります。
 

ところが、今日の社会は、例えばイギリスのEU離脱やアメリカ大統領選挙結果をもたらしたとされる、「自分の感情に訴えるものが優先されて、それがたとえ虚偽であっても受け入れてしまう状態」にあります。これを、ポスト・トゥルースの時代と呼びます。今、インターネット上には、事実でない情報が溢れています。しかし、この状況は今に始まったことではありません。関東大震災の時に、朝鮮人を殺害した事件の発端は、単なる噂デマからでした。最近では、東日本大震災の風評被害も同様です。更に、部落差別も元をたどれば、何の根拠もない自分の感情に訴えるものを優先して、受け入れたものと考えます。このことは、「今モ尚部落民ヲ嫌忌シ、単ニ習慣上、何カナシニ嫌フ」と1912年の奈良県の実態調査でも明らかにされています。
 

昨年12月、「部落差別の解消の推進に関する法律」が施行されました。同和教育の先達は、部落差別をなくすためには「騙されない子どもを育てることが大事や」と説かれました。ポスト・トゥルースにあって、何が事実なのかを見極め「騙されない」子どもを育てるためには、批判的思考力や情報リテラシーが求められます。冒頭の授業での一場面は、子どもの思考が深まる瞬間でした。文部科学省・県教育委員会より「法律」の周知と教育・啓発の取組を促す通知が出されましたが、その取組についての具体化は、ここからです。

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