奈良県人権教育研究会50年のあゆみ

第50回総会において、これまで50年の歴史を刻んできた「奈良県同和教育研究会」を改め、「奈良県人権教育研究会」となりました。 1952年奈良県同和教育研究会は、部落の子どもたちの長期欠席・不就学問題の解決に取り組んでいた学校・教職員を中心に結成されました。奈同教は、これまでの50年におよぶ歴史と同和教育の理念を継承し、21世紀を切り拓く人権教育を確立するために、第50回総会において、「奈良県人権教育研究会」と会の名称を改めました。また、会の目的を「部落問題をわが国の人権問題の重要な課題として捉え、その解決を図る取り組みを人権にかかわるあらゆる問題の解決につなげていくことを通して、人権尊重の精神を涵養する教育の研究と推進をはかること」としました。

現在、県内の公私立の学校・園・所、1万2000人を越える教職員・保育士が会員となっています。 主な活動は、教職員・保育士を対象にした人権教育の研修会の開催や、貴重な実践を集めた出版物の刊行、そして現在、人権教育副読本『なかま』の改訂などを行っています。 そうした活動を通して、人権教育の営みをより深めるとともに、人権が尊重される社会の実現(人権文化の創造)を展望しています。

奈良県の同和教育の歩み

奈良県の同和教育は、部落の子どもたちの長期・不就学問題を解決する取り組みから始まりました。

1951年度の県内の長期欠席児童生徒の調査で、上記の表の実態が明らかにされています。中でも、部落の中学生の長期欠席者率は県全体の約7倍にも達し、看過できない状況でした。しかし、当時の指導要録には、「本人の怠惰、保護者の教育無理解」等、差別の現実に目を向けようとしない記述が残されています。

こうした状況に胸を痛めた先達は、足繁く部落に通い、親と話し合い、子どもたちが通えるように取り組む一方、部落の子どもたちの長欠・不就学問題とそれへの取り組みをまとめて、日教組第1次教育研究集会に報告しました。しかし、分科会での反応は冷たかったと言います。戦後の民主教育は、部落問題に無関心であったと言えます。 こうしたことから、1952年に部落問題の解決を図る教育課題に取り組むことを目的として、奈良県同和教育研究会(奈同教)が発足しました。また、1957年に奈良県高等学校同和教育研究会(高同教)が発足しました。

長欠・不就学問題への取り組みが進められ、徐々に解消の方向が見えてきた中で、部落の子どもたちの学力問題や、部落問題に対する科学的認識を培う教育内容の創造が求められるようになりました。 奈同教は、1960年に部落問題を正しく認識するための教材を作成して、小学校4・5・6年生用の同和教育副読本『なかま』を発刊しました。『なかま』は、数度の改訂を重ねて、今日では小学校用から高等学校用まで発刊されています。
『なかま』が発刊された翌年に、奈同教結成10年を記念して、『むなつき坂をこえて』が発刊されました。
そのまえがきで、次のように述べています。

『むなつき坂をこえて』というのがこの本の名前であるが、奈良県の地図をいくらさがしてもこんな坂があるわけではない。ほかでもなく、わたしたちがまだ学校につとめていた時、ある女の先生の口から思わずでたことばだった。それは、本文をよんでいただいたらわかるであろうが、学校から部落までにいくつもの坂がある。坂をこえ、こえして部落に出る。そして、あの子、あの親たちがどうにもならないすがたで暮らしている。なんとかしなくては、と思えば、坂を登るつらさもさることながら、むねをつかれて足もすすまないというのだった。~中略~わたしたちは、今だにある部落のすがた、部落のおかれているすがたから足をはなさなかったつもりだ。教育の風潮がどうあろうと、教育の方針がどう変わろうと、部落があるかぎりわたしたちはそこから物事を見、考えていくつもりだ。~後略~

同和教育は、「差別の現実に深く学んで」様々な取り組みを進めてきましたが、その原点は、この「まえがき」にあると言えます。 この頃、高知県でも部落の子どもたちの教育権を保障するために、「教科書無償」の取り組みがはじめられました。奈良県でも、その取り組みがはじめられ、ついには、全国的なうねりとなって、義務教育における「教科書無償」制度の実現をみています。このように、同和教育の営みはすべての子どもたちの教育保障へとつながっていきました。

また、1966年に奈良県教育委員会は、同和教育を民主教育の中核ととらえ、全国に先駆けて「同和教育推進についての基本方針」を策定しました。 なお、この基本方針は、ある校長の差別発言がきっかけとなり、奈同教、教職員組合、解放同盟、県教委、県の五者会議を重ねて、策定された経過があります。 これにより、県内すべての学校・園・所・地域で同和教育の推進が飛躍的に図られることとなりました。

長欠・不就学問題の解決が図られる中で、卒業後の進路が大きな課題となりました。そこで、同和教育は、「進路保障は、同和教育の総和」と位置づけて、様々な取り組みを進めてきました。具体的な取り組みとして、すべての子どもたちの学力保障の取り組みや、就職差別を撤廃する取り組み、さらに「奨学金」制度の確立等があげられます。就職差別を撤廃するために、「統一応募用紙」の制度を生み出してきました。 このように、同和教育は、数々の成果をうみだし、教訓を引き出してきました。部落の子どもたちの教育保障から出発し、すべての子どもたちの豊かなくらしを創造してきた同和教育の営みは、日本の人権教育の基底を拓いてきたと言えます。

奈同教は、学校教育における同和教育を中心に取り組んできました。しかし、同和教育の取り組みは、学校だけでは大きな成果を期待できません。地域・家庭においても、同和教育の推進が必要でした。そこで第14回全国同和教育研究(奈良)大会の地元実行委員会を母体に、奈良県同和教育推進協議会(奈同推協)が1963年に結成されました。奈同推協が結成されて、奈良県の社会教育における同和教育が飛躍的に進められるようになりました。 また、県民対象の啓発の必要性が問われる中で、県内47(当時)すべての市町村に同和問題啓発活動推進本部が設置され、1988年にその総体として啓発活動を推進するために、「奈良県市町村同和問題啓発活動推進本部連絡協議会」(啓発連協)が結成されました。 今日の奈良県における同和教育の推進体制は、このように整いをもってきました。